キコニアのなく頃に 感想と考察
冒頭で申し上げたいことはひとつだけです。
キコニアのなく頃に――今年遊んだゲームで一番面白かったです!
それを伝えられただけで本記事の意義はほとんど達成されました。あとはオマケ程度で読んでいただけたら、と思います。
本来であればじっくり考察記事を書くブログなのですが、本編は非常に多くのメッセージと着眼点が込められた作品であり、ひとつの記事にまとめるのが容易ではありませんでした。
そこで、ストーリーに関わる詳しい考察は別で用意するとして、今回は「ひぐらしのなく頃に」「うみねこのなく頃に」との比較や、ゲームを終えての簡単なレビューに留めます。
さっそく見ていきましょう!
『ひぐらしのなく頃に』『うみねこのなく頃に』との繋がり・比較
1. 舞台設定
「ひぐらし&うみねこ」は過去、キコニアは未来のお話です。
また、「ひぐらし」と「うみねこ」って関係性があるの? という質問をよく見かけますが、「世界」は繋がっていません。
うみねこ本編でひぐらしの話題が上がったり、キコニアでうみねこの小ネタが使われていたり、ここら辺は制作陣の遊び心が感じられますが、別にお互いの世界が時系列的に・地理的に繋がっている、という訳ではありません。
世界観やテーマに関しても、同じ「なく頃にシリーズ」ですが、全く違います。
竜騎士07先生というと、ひぐらしのような戦慄サスペンスや『祝姫』のような和風ホラーを書くイメージが一般的には強いんじゃないかなと思っています。
なので、今回のようなSF要素を強めに出したストーリーは、特に古参ファンに鮮烈な印象を与えたと思います。
現に私も発売を心待ちにしていました。
「プレイヤーへの挑戦的な姿勢」「体の芯を凍えさせるような恐怖感」「人間・社会を再考させるメッセージ」など、従来のなく頃にシリーズの特長を踏襲しつつ、新たな分野にチャレンジしようとする意気込みが伝わってくる作品でした。
2. 姿の視えない元凶と策謀
なく頃にシリーズには幾つかの共通点があります。その一つが、畏怖の対象の存在です。キャラクター達はミステリアスな出来事に巻き込まれ、互いを疑心暗鬼になり、惨劇へと招待されます。
その元凶が人間によるものなのか、あるいは人ならざるモノの仕業なのか。何に巻き込まれているか理解が追いつかず、これから何が起こるか分からない――得体の知れない恐怖がキャラクターだけではなく、プレイヤーをも震撼させます。
この未知の存在がひぐらしでは「オヤシロさま」に当たり、うみねこでは「ベアトリーチェ」だったわけです。
うみねこでは特に人間による犯行なのか、それとも魔女による魔法なのかが作品の主題でもありました。
しかし、キコニアでは黒幕の正体が人間であると提示されています。人為的で作為的なのです。人ならざるモノ(ファンタジー要素)を考えなくていい分、推理が楽だ、と未プレイの方はお考えでしょう。
ご安心ください。とても噛み応えのある内容になっています。文章中に散りばめられたヒントを丁寧に拾い上げて、大胆な発想を織り交ぜながら考察する必要があるでしょう。
3. 世界の様相
「ひぐらし」と「うみねこ」の舞台における共通点は局所性にありました。
ひぐらしでは雛見沢村、うみねこでは六軒島。登場人物は原則、この舞台から降りることを許されません。とりわけ、うみねこではクローズドサークルが個々の事件の鍵でもあり、作品全体にも関与する要素でした。
一方、キコニアはどうでしょう。初めてキコニアのディザームービーが公開された時、色々な人種のキャラクターが登場するようで、非常にグローバルな作品だなという印象を持ちました。
つまり、舞台は地球全域。今回は局所性の法則が適用されないのかなと思いました。
しかし、もしかしたら。キコニアのなく頃にでは、地球を一つの脱出不可能な領域として捉えているのかもしれません。
住んでいる国が嫌いになったり、その国に未来は無いと思ったら海外へ移住さればいい。でも、人類はどう足掻いても地球の外に逃げることはできません。世界規模のクライシスが起これば逃げ場を失くします。人類は地球という非常に狭い空間に閉じ込められているという言い方もできます。
もう一つ。前作のような多重世界構造やタイムリープを採用して最後の世界で平和を実現するのか。『Rewrite』のような例もありますから、現実世界と切り離された場所が人類にとってのユートピアになるのか――という部分も気になります。
【永遠】【逃れられない運命】【奇跡】なども、なく頃にシリーズを象徴する単語です。
この世界がどういうカラクリになっているのかということを推察するのも醍醐味の一つです。
また、なく頃にシリーズは、ひとつのエピソードで登場人物の背景を全て説明せず、折り重なるストーリーを経て人間模様を変化させながらキャラ達のバックグラウンドや本音を浮き彫りにしていきます。
Phase 2では、また違った様相を見せてくれると期待しています。
Phase 1の感想
1. ストーリーの意味するところ
「純粋にゲームを楽しんでもいいし、考察してもいい」と竜騎士07先生は仰っていました。できるかできないかは別として、しないという選択肢はおそらく無いでしょう。
それはまるで、川の向こう岸から香ばしく焼いた肉を犬に見せつけて「食べてもいいし、食べなくてもいい」と言ってることと同じ。
こんなよだれが垂れるストーリを見せられて、純粋に享受しろというのも酷な話。Phase 1の川の流れは急です。今回が初めてのなく頃にだったよという方は、ほとんど何も分からないままエンディングを迎えても不思議じゃありません。そういうレベルです。
ストーリー自体も非常にメッセージ性の強いものでした。現在世界で問題になっている案件、この先起きても不思議じゃない問題。それらが、まるで小さな箱の中でシミュレートされている様。
恐いと思うのは、このゲームはフィクションですが、将来十分に起こりうるテーマを取り上げていて、完全なフィクションとして切り捨てられない点ということです。
また、都雄はガントレットという素晴らしい武器があるのに、それを誰に対して、どういう風に使えばいいのか分からず苦悩します。現実の問題においても元凶が形あるものだったり、陰で糸を引く黒幕がいてくれたらどんなに楽だろう、と彼の姿を見てて思ってしまいます。
都雄に限らず、それぞれのキャラクターの発言は、世界が今抱えている問題を代弁している様に聞こえて、その都度考えさせられました。
2. ゲームのシステムと操作性
とても快適にプレイできます。キャラの立ち位置とテキスト表示の位置が巧みに計算されていて、読みやすいです。
演出もすごかったですね。ディストピアな未来をイメージした悲壮漂う背景がとても好きです。戦闘シーン(特にラスト)も鳥肌が立ちました。
欲を言えば、私は小まめにセーブをする性質なので、もう少しセーブ数を増やしてほしかったなと思います。
3. 音楽
毎度のことながら音楽については文句なしです。そのシーンにベストマッチするBGMが、これ以上にないタイミングでかかります。
「なく頃に」の新章が出るたびに、また素敵な新譜が聴けると思ってわくわくします。
キコニアについても、どれも名曲で、ゲームが終わった後も作業しながら音楽鑑賞ルームで聞き惚れてしまいます。サウンドトラックの発売が待ち遠しいですね。
OPの「キコニアのなく頃に」も本編の世界観が凝縮された素敵な曲です。ひぐらしやうみねこの妖しさ漂う曲調と違って、パワフルな歌です。余談ですが、音楽管理ソフトの再生回数を見ると「キコニアのなく頃に」が今年最も聞いた曲でした。
評価
さて、簡単ではありますが『キコニアのなく頃に Phase 1』を振り返ってみました。一周目を終えた余韻に浸りながらこの記事を書いておりますので、まだまだ見落としている部分があると思います。
なく頃にシリーズは何周もプレイすると味が出ます。ちょうどクリスマスの時期も重なりますから、またプレイしたいですね。
なく頃にシリーズは、「人間ってこういう生き物だよね」「社会ってこういう風にできてるよね」というメッセージを美化せず、偽善的なシナリオにも落とし込まず、思わず心から納得してしまう形で提示してくれる観察眼の優れたゲームです。
娯楽だけではない、本当に良い作品だと思います。
あとはやっぱりケロポヨが可愛い! 殺伐とした世界の癒しキャラでありながら、シリアスな場面ではそれを引き立てるスパイスの役割も担っています。
なく頃に関係のLINEスタンプ制作の話題が上がっていましたが、その際は是非ケロポヨのスタンプもほしいです。
私は「なく頃にシリーズ」が好きな”なく頃ニスト”です。冒頭で、キコニアは今年遊んだゲームで一番面白いと太鼓判を押しました。自分が竜騎士07先生のファンですので主観性が偏ってしまいますが、それを抜きにしても大変完成度の高い作品です。
Phase 1はその未来の大作の片鱗を見せてくれました。Final Phaseまでついていきます!
そして。
これを読んだあなた。どうかキコニアをプレイしてください。
それだけが私の望みです。
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